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福島第一と海:

災害対応の10年間を語る

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2011年3月11日、日本の都市仙台の東約129キロメートルで起きた震度9の地震によって発生した津波は、水柱となって沿岸部に激突し、福島第一原子力発電所を大破した。一万六千人近い人々が犠牲となり、現在も発電所から放射能汚染水が流出している。(撮影:ケン・コステル、©ウッズホール海洋研究所)

2011年3月11日、日本の都市仙台の東約129キロメートルで、海底が激しく隆起した。日本を支える構造プレートの下部にゆっくりと沈み込んでいる太平洋プレートによって蓄積された歪みが、突如スライドし跳ね上げられたのである。ほんの一瞬にして、サッカー場の半分もの大きさの海底の一部が水平方向に押しやられ、9メートル以上上昇した。

日本では毎年数百もの地震を経験するのだが、しかし、東北地方太平洋沖地震はこの国が記録した中でも未曾有の大規模なものであった。マグニチュード9の揺れが長くとも6分も続き、本州を2メートル半も東へシフトさせた。

海底が上部大きく突き上げられ発生した津波は、半時間もしないうちに近隣の日本沿岸地域を襲った。街全体が三階立ての建物に匹敵する水壁によって破壊され、一万六千人近い人々が犠牲となった。

福島第一原子力発電所もこの時被災を免れなかった。地震翌日には爆発が起き、拡散される放射性降下物を避けるため、15万人以上の近隣住民が強制的に避難することを余儀なくされた。さらなる放射性物質が海洋に直接流出し、大気中に拡散したものも最終的には海洋表面に降下した。

「このような天災によって海に流出する放射性物質の量としては、福島第一原発事故は、前例のない出来事だったのです。」と、ウッズホール海洋研究所シニアサイエンティストであるケン・ベッセラー博士は話す。「起きたことを振り返り、現状を把握することは非常に重要です。」

三重の災害から10年目となる今年、ベッセラー博士は世界中の研究者たちと福島での出来事において過去10年間学んできたこと、さらにどのように状況が引き続き変化するのか、遠隔で議論してきた。

発電所の内部

福島第一原子力発電所は、適切に地震に対応するシステムを備えていた。激震によって送電線が破損し、プラントと六基の原子炉が送配電網から遮断され、三基の稼働中の原子炉が自動的に停止した。しかし、原子炉を停止させることは電気を消すように容易なことではない。

「核分裂反応が止まったとしても、放射性物質は熱を発し続けます。」福島県沿岸における研究調査隊を幾度も率いてきた東京海洋大学の神田穣太教授は云う。「かなり長期にわたり水で冷し続けなくてはなりません。」

燃料棒を冷却する水を汲み上げ続けるために、施設は予備発電機に切り替えた。そして、津波が襲った。

原発は海面から9メートル上に掘削された丘陵に建設されていた。その区域で予測されていた津波の高さは最大6メートルであったと、神田教授は云う。しかし、その日襲った津波は11〜15メートルの間と記録された。それは施設を浸水させ、予備発電を破壊した。

冷却システムが故障したのち、原子炉の炉心の温度が上昇し始めた。原子炉内の燃料棒が過熱し溶解し始め、ウラニウム燃料が露出して格納容器が破損した。同時に原子炉の水が蒸気になり金属製燃料棒に反応して、揮発性の水素ガスが発生した。

炉心内に蓄積した圧力を軽減するため、発電所の作業員たちは数日間にわたり何度かガスを放出した。このガスは放射性同位体、あるいは放射性物質を大気中へ流出したが、それだけでは済まなかった。続く数日の間に原発での三度の水素爆発が今まで以上の放射性物質を空中に放出し、その多くは最終的に海洋上に落下したのである。

緊急隊員たちが過熱した原子炉へ必死に高圧放水砲と消火ホースで噴水し、そして自衛隊のヘリが上空から何百トンもの水を投下させた。こうした水は放射性物質を取り込み、海洋へ溢れ出すか、地面に浸透していき、最終的には海へと運ばれていくこととなった。

Reactor Explosion

地震により福島第一原子力発電所は停電し、津波により予備の発電機が浸水したことで、6基の原子炉のうち3基が過熱溶解し、水素ガスが発生したのち爆発した。放射性物質を含んだ地下水や冷却水は海に流出し、海岸の砂や海底の堆積物に、あるいは魚類やその他の生物に蓄積され、大部分は海流に乗って太平洋を横断した。(福島中央テレビ)

2011年6月に行われた最初の国際調査航海では、福島第一原発付近沿岸から482キロメートル以上沖合までの放射性核種の拡散を追跡した。過去10年以上にわたり、科学者、技術者、一般市民が、発電所近海からカナダ及びアメリカ合衆国の西海岸の広範囲において、海水、堆積物、海洋生物のサンプルを採取してきた。(撮影:ケン・コステル、©ウッズホール海洋研究所)

放射能に汚染された海

今回の災害で最も著しく放出された放射性同位体は、ヨウ素131、セシウム134及びセシウム137である。これら全ては有害物質の可能性はあるが、それぞれ異なった速度で減衰する。ほとんどのヨウ素131は数週間で消失する。2年間の半減期を持つセシウム134は10年後わずか3%しか残留しない。しかし急速に減少することを物語ってはいても、福島の海洋への打撃として拭いきれない跡を残した。セシウム137、これは30年の半減期を持つため、減少には何十年もかかる。実際、1950〜60年代に行われた核兵器の大気圏内実験によって放出されたセシウム137が、現在もなお世界中の海洋に少量ではあるが計測可能な量存在するのである。

「原子力発電が多くの国で利用され始め、海洋中には常にある程度のセシウムが存在してきましたが、問題は、今回の事故でどのくらい増加したかということです。」2011年6月に福島県近海で放射性物質計測のための調査航海を率いたベッセラー博士は語る。「我々は、福島第一原発に近い海洋で、1立方メートルにつき5千万ベクレル以上という極めて高いレベルの放射性セシウム濃度を検知しました。」

1ベクレルは、1秒につき一個の原子核が崩壊するのに等しく、非常に微量の放射能である。世界保健機構(WHO)のガイドラインでは、飲料水に含有されるセシウム137の量は1立方メートルにつき1万ベクレル以上でないことを推奨している。災害に見舞われる以前、福島周辺の水質は、1立方メートルにつき約2ベクレルであった。それが、事故直後には5千万を超えるまでに上昇し、その後原発からの放射性物質の流出を食い止めるための対策が功を奏し、数ヶ月で急速に数値は下がった。ある程度の放射性物質は海底の堆積物に累積したが、多くは強い黒潮によって太平洋へと移流拡散され、セシウムが海流にのって北米にまで運ばれてしまうのではないかという恐怖心に火をつけた。

太平洋を横断する福島からの放射性物質の動向を調査するため、ベッセラー博士は西海岸でのセシウムがどのくらいの数値であるかを調査する地域密着型の活動を結成した。彼の研究室は、付近を運行中の船舶から、サーファーたちから、さらには海水浴客から、沿岸域の海水サンプルを入手した。彼らは一部の放射性物質が太平洋を渡って福島から北米まで運ばれてきたことを示す証拠を発見したものの、その数値は1立方メートルにつき10ベクレル以下という極めて低いものだった。

「非常に小さな数字でした。」ベッセラー博士は云った。「もし仮に1立方メートルにつき約10ベクレルという水中で一年間毎日海水浴をしたとして、線量、追加被曝は、歯科のレントゲン一回の千分の一程度でしょう。危険性はゼロではありませんが、非常に少量で、西海岸で水泳をしたり、サーフィンやボートで漕ぎだしたりしても、心配することはありません。」

しかしながら、福島における放射性物質の流出は完全に消散したわけではない。震災後の数年間に比べればはるかに少量ではあるが、原子炉からの漏出、河川の放射性堆積物、汚染された地下水が、海洋に流出し続けている。福島近海における放射性物質濃度は、2016年以来1立方メートルあたり100ベクレル前後というレベルで停滞している。

Food Chain

魚についてはどうなのか?

突然の海洋への放射性物質放出は即座に地元の海洋生物への懸念となり、消費者たちが長期にわたって心配することとなった。日本政府は直ちに漁業を停止させ、領域のどの海産物が安全で、それらを食べても心配はないのかを判断するための徹底した検査とテストプログラムを開始した。

放射性物質は水中で溶解されるかもしくは微粒子状となって存在し海洋に放出されます。」フランス放射線防御・原子力安全研究所上級専門員のサビーン・シャーマソン氏は説明した。「どちらの形態でも海洋生物が取り込む可能性があります。」

汚染された環境に生息する魚類は、外皮を通して、もしくは餌や海水を摂取することで放射性物質を吸収するかもしれない。しかし、どのくらいの期間体内に残留するかは、元素固有である。セシウムは例えば元素周期表上で同じ列に属する、カリウムと似た働きをするため、筋肉や臓器に取り込まれ、海洋生物の体内に何週間も何ヶ月も残留する可能性がある。トリチウム、これは水素の放射性物質であり、主に水のように振る舞い、生物の体内機能からほんの数日で排出されてしまう。ストロンチウムはカルシウムに類似していると、シャーマソン氏は話した。そして、それは生物の骨内に何年も残存する可能性があるとも云う。

また、海洋生物にも固有である。タコはウニとは異なる放射性物質を吸収する。活発な代謝機能を持つ魚類は、汚染をより急速に除去できるかもしれない。

研究者たちは、福島周辺の海底近くに生息する生物に、海水の汚染濃度が下降し始めていたにもかかわらず、より高濃度の放射性物質を検知した。

「これは、これら魚類が汚染された堆積物上や内部の餌を摂取していたからです。」シャーマソン氏は説明する。

しかしながら、数年後には、日本の福島の漁場を含む東北沿岸で水揚げされた圧倒的多数の海産物は、1キログラムあたり100ベクレル(アメリカ合衆国の制限値は1キログラムあたり1200ベクレル)という日本の厳しい放射線量制限値を下回った。2015年以来、何千匹もの魚類が検査された中で、その制限値を超えたのはたった二匹のみであった。

福島第一原発の事故後、誤った情報が拡散し、科学者や政府関係者の情報へ対する世間の不信感が高まった。一般的に誤って伝わったもののひとつの例として、福島第一原発でメルトダウンした直後の放射性物質の広がりを示した地図と思われたものは、実際には地震後に太平洋を横断する津波モデルの分布図であった。 (米国海洋大気庁太平洋海洋環境研究所より転載)

危機に見舞われた信頼

安全が実証されたにもかかわらず、福島県地方から流通する海産物には汚染という汚名が今もつきまとう。2013年から2017年まで駐日アメリカ合衆国大使を務めたキャロライン・ケネディ前大使は、地域を訪問し地元産のものを食べることが安全であると人々に示すため、繰り返し現地を訪れたことを思いおこした。

「漁業に携わる人々や大勢の生産者に会いましたが、当然のことながら多くの場合、皆が彼らの食品や魚を購入することを恐れています。」ケネディ前大使は語った。「これら全てのエピソードはバラバラのようにみえますが、災害対応のための様々な分野に対して、個人そして集団としての責任、さらには科学のために、多くの教訓を与えてくれます。」

放射性物質は土地や海洋上でどのように分布しているのか?避難が必要なのは誰か?どの食べ物が安全なのか?人々がこうした当たり前の疑問であるはずのものに答えを希求してやまない時、福島についての信頼性を欠いた情報が災害後何日も何週間もかけて広まっていった。

しかし、日本政府から発信された情報は乱雑で、遅延し、不透明であったのみならず、不完全なものだったと、福島原発事故を受け組織された環境監視団体であるセーフキャストの主任研究員アズビー・ブラウン氏は話した。東京周辺地域の放射線汚染を示す最初の公式マップは、災害から7ヶ月も経過した2011年10月になるまで発表されなかった。風評と誤報が混乱とともに、どのような公式発表よりも急速により遠方へ広がっていった。

「信頼は、再生可能なものではありません。」ブラウン氏は云う。「一度失ったら、二度と取り戻せないかもしれません。」

福島原発事故以前、日本における魚類の放射性物質濃度の制限値は1キログラムあたり500ベクレルと、すでに国際的基準よりも厳しいものであった。2012年4月、福島産海産物の安全性への国民の信頼を高めるために、制限値は1キログラムあたり100ベクレルに引き下げられた。しかし、この改正を取り巻く明確な情報の欠如が、多くの人々にさらなる混乱と不安をもたらした。以前は安全ではない海産物を食べてきたのか?と。

「誰のための情報なのか、その情報に対しどう反応するのか、いかにしてその情報を得るのか、もしそうしたことを想定しなければ、その情報は的外れになる可能性があります。」ブラウン氏は話す。「我々は情報発信の際、想定される混乱と、とどのように物事は誤解され得るのかを、予測しなければなりません。」

震災後の早い時期にすでに多くの国民が公式の情報源への信用を失い、続く不手際や同様に幾つかの情報の不正確さが問題をさらに深刻化させ、福島原発事故を取り巻く全てに信頼の危機が生まれた。

2011年3月11日に始まった終わりない惨劇の遺物、それは福島第一原子力発電所の敷地内に設置された千基以上の汚染された処理水を保存する貯蔵タンクである。日本政府はこれらのタンク内の汚染水を徐々に海洋に放出する予定である。厳密にはその処理水の中にどの放射性同位体がどの程度含まれているのか、明確にされていない。(撮影:ケン・ベッセラー、©ウッズホール海洋研究所)

福島の終わりなき遺産

東北の景観を変えただけでなく、震災は日本人の意識を根本的に変えた。震災の余波で、日本にはボランティア活動とフィランソロピーの感覚が戻った(新しく芽生えたと一部の人は云うだろう)。フィッシュ・ファミリー財団理事で、日本女性リーダー育成支援事業の共同創設者でもあるフィッシュ東光厚子氏は、地震と津波発生からわずか3週間後に手助けと彼女が在住するボストンで自ら募った基金を配布するため東北を訪れた。日本社会は伝統的に国外からの援助やもしくは別居する家族からであっても、外部の助けに抵抗する気風がある。そのためフィッシュ氏は人々が彼女を信頼することでしか援助を受けいれてもらえないと理解していた。彼女の動機が心から援助したいと望んでのことであると証明するためであれば、何ヶ月もかけて、時には被災地まで運送トラックに便乗させてもらうなど、根気強くボストンと東北を行き来した。

フィッシュ氏とそしてその他多くの人々の努力は、「信頼に基づくフィランソロフィー」とによって実ったと彼女は言う。特に信頼関係を築くことに重点をおいた支援の提供を担う女性たちの役割には、日本における女性たちの権利に、新たな推進力をもたらす強い影響を与えたと、彼女は指摘する。

「これら女性たちは、東北の将来を担うでしょう。」フィッシュ氏は語る。「同時に、彼女たちは日本にとって重要な将来のリーダーになる存在です。」そして、まだ成し遂げなければならないことがあり、彼女たちのリーダーシップが必要とされるはずである、と。

現在、福島第一原発敷地内には、千基以上の貯蔵タンクがそびえ立ちひしめきあっている。それらには汚染地下水と原子炉心や炉心内の瓦礫に接触した汚染冷却水が溜められている。目下のところ、1日100トン以上の割合で排出、蓄積され続けている。当初は一時的なものと考えられていたが、10年前に始まったことは長期化する可能性のある事象の遺物として、一つのより目立つ存在となってきた。原発を所有する東京電力ホールディング株式会社(TEPCO)によれば、2022年までに貯蔵タンクのためのスペースが、確保できなくなるとみられている。貯水したものは除染を経たうえで、現状のプランでは徐々に海洋に放出する計画である。

しかし、除染処理は完全ではなく、東京電力と日本政府の不透明性は計画への大衆の反発を招いた、とブラウン氏は語った。東京電力は何年もトリチウムのみがタンクに残存していると主張し、水素の放射性物質は取り除くのが困難ではあるが、他の放射性同位体に比べ健康へのリスクは低いという立場を取っている。2018年10月にようやく、同社は貯蔵タンクには他の放射性同位体が含まれていると認めた。

それら他の放射性同位体というものが、人間の健康により危険であると、ベッセラー博士は云う。そして海底に残存して海洋生物に蓄積する可能性が高いとも。「少しでも透明性があれば我々の理解を得るのに長い時間はかからなかったでしょう。そしてトリチウムだけでなく他の同位体も含めた解決策を構築させたでしょう。」

最初のステップはタンクの中身を完全に把握することである。そして、ベッセラー博士は続ける。東京電力はトリチウム以外の放射性同位体を除去できることを証明しなければならない。東京電力は全タンクの70%以上にその除染処理が必要であると認めている。最後に、再処理後に各放射性同位体が許可された許容可能な数値内に抑えられているかを徹底的に調査する独立した監視が必要となる。ベッセラー博士は、短命な汚染物質の一部が減衰するのを受け入れるため、原発の周囲19キロメートル弱の立ち入り禁止区域を設け、さらにタンクを設置する可能性も示唆している。しかし、再度巨大な地震に見舞われれば、タンクを破損し、制御不可能な漏出を起こす可能性が懸念される。

どのような解決策であれ、完全な廃炉と汚染除去は何十年もの長期事業になるだろう。そして、海洋生態系の回復と地域社会の復興が続く中、「安全なのか?」という疑問は多分これからも決して消え失せることはないと、ベッセラー博士は認知している。

「数値が下がったとしても、世間はなおそうした疑問を持つでしょう。」ベッセラー博士は云う。「そして次の10年後も、我々がその疑問の答えを見つけようとしていることを願っています。」

=(ローラ・カスタニヨン)